はじめまして。当サイトを運営しているもか(@MochaConnext)と申します。本記事では、わたしの半生~ブログ開設に至るまで、そして今後の目標について触れていきます。
5分程度で読める内容となっていますので、お時間があるときにでも見ていただけたらうれしいです。
自由気ままな日々《出生~小学生篇》
わたしは至って平凡な家庭で生まれ育ちました。家族構成は父と母、弟の4人。父は少々モラルに欠ける人だったかもしれませんが、それでも人とのめぐり合わせが良かったこともあって、真っ直ぐな小学生時代を過ごすことに。
でもなんとなく、自分の生きる命というものにあまり関心がなかったように思います。
幼馴染みとはよく「なんかさ、30歳ぐらいでさっさといなくなりたいよね……」と話し合っていたものです。気付けばいまの自分はそんなお年ごろ! いやはや、時間が経つのは早いですね。
※父との関係が知りたい人は下記リンクまで(めちゃくちゃ暗いです)。
>>>自己紹介~今さらですが、もかです~(noteに飛びます)
究極のやさぐれ時代《中学生篇》
おそらく、わたしの最たる黒歴史といっていいのは中学時代。「時を戻そう」――いやいや、絶対に戻りたくない3年間です。
思いがけず演劇部に入部
中学校に入学した当初、わたしは友達とともに吹奏楽部に入部する気満々でした。もちろん、仮入部にも参加しています。
しかも仮入部一発目でピッコロの音が出せてしまったものだから、「吹奏楽部においでよ!」と先輩からのお誘いもあったほどです。
それなのになぜか翌日には演劇部に本入部してしまうというファンタジー。不思議!
望まぬ部長に昇格で悲劇
演劇部は文化部の中の運動部(謎)といわれるほど厳しい部活で、朝練があるのはもちろん、筋トレや先輩からのしごきなど明らかに縦の文化に向いていないわたしが苦手な体質でした。
朝練でサッカー部や野球部、バレー部と一緒に外周を走りまくっていたのはいまでは良い思い出。
本当は幽霊部員にでもなりたかったけれど、先輩の怖さに怯えて毎日真面目に応えてしまうわたし。なんと、2年生の夏に部長に昇格してしまいました。生真面目にやりすぎた!
ただ、良い見方をすればこれで自分の好きなようにできる……と思いきや、どこにでも和を乱そうとする人はいるものです。いや、良い意味で自分中心の人ならいいんですけどね。
ここでわたしは人生ではじめて、(なんちゃって)いじめ体験をします。
夜まで部室に閉じ込められたり、机の裏に「〇ね」と書かれたり――ああ、ちなみに古典的なやり方ばかりだったので、上履きにもなにかされそう、体育着にも、いや、教科書にも! なんて学校で使うものは日々持ち帰っていました。毎日終業式状態。
そういったことが卒業までコンスタントに続いていたので、中学生の記憶は部活一色。
「人生なんてなにひとつ良いことがないんだ……」「家にも学校にも居場所がない」「30歳まで待っていられない!」
人生で究極のやさぐれ時代でした。
人生観が180度変わった留学《高校生編》
上記のようなことがありながらも、受験では第一志望の高校に合格。意気揚々と、高校デビューをしようと思いきや……まわりはギャルばっかり!(良い子もいたよ)
日本の高校生活で“ほぼ”不登校に
10代で海外に出たとTwitterではよく言っているわたしですが、実は最初の一年間は日本の高校に通っていました。芸事に秀でた、日本ではちょっと特殊な学校(=普通科ではない)です。
入部したのは硬式テニス部。
ここからまた自分の中のキャパシティーがいっぱいいっぱいになっていくことになります。
※高校時代の部活の話は下記をご参照ください。
>>>100の褒め言葉より1の誹謗中傷が心に残る(noteに飛びます)
そんなこんながあって、さらには普通の学校とはちょっと違う授業も嫌になり、どこにも居場所が感じられなくなったわたしの中で、徐々に学校に行きたくないという気持ちが膨れ上がっていきます。でも、このままでは留年してしまう。焦りました。まわりの目を気にしまくるわたしにとっては死活問題でした。
当時は親の都合でもない限り他の高校への編入なんて考えられなかったし、通信制もあまりポピュラーではなかったからです。
そんなこんなでたどり着いたひとつの“逃げ道”が“留学”でした。
親を説得して海外へ飛び立つ
もちろん、親には反対されました。当然です。当時のわたしといえば、海外どころか飛行機にさえ乗ったことがなかったんです(赤ちゃんのころに一度あるらしいですが、覚えていないのでノーカウント)。
ところが、わたしの中ではすでに“留学する”か“自ら命を絶つか”の2択しかないほどに追い詰められていました。
本当に極端な性格です。そして根本的な部分はいまでも変わっていない。
とりあえず、なんとか親を説得して海外渡航をすることになったのです。
文武両道で異文化交流を目指す
英語力ゼロ(むしろ赤点常習犯だったのでマイナス)からスタートした留学生活は、まさに苦難の連続。
※留学前、留学中については下記リンクから。
>>>【セルフ取材形式】英語力ゼロでも留学はできる!10代で海外へ行こうと思ったわけ【元記者】
>>>【セルフ取材形式】海外と日本で違う教育システム!リアルな高校留学体験談【ニュージーランド版】
硬式テニス部とバドミントン部、それからカパハカ部と気分次第で3つの部活を行ったり来たりしていました。もちろん現地の学校だと英語力にハンデを背負った状態なので、それなりに勉強もしました。同じ留学生と切磋琢磨しながら、そして、現地の友達に良くしてもらいながら。
※留学中の他のお話も。
>>>わたしはかつて”口のない”留学生だった(noteに飛びます)
>>>適切な努力?んなもんやるまでわからん!(noteに飛びます)
右も左もわからない状況から、なんとか卒業までこぎつけたわたしはやる気を取り戻していました。「日本なら言葉だって通じるしなんでもできる!」みたいな変な自信がみなぎっていましたね。
迷走しながらもひたすら勉強《日本就職篇》
その後、また海外に留学したり日本で日本語教育の勉強したりと紆余曲折あったものの、就職氷河期といわれる時代を乗り越えてなんとか内定をゲット! 憧れの英語関係の仕事です。……なのに、営業部に配属!?
※日本語教育能力検定試験についての記事はこちら。
>>>「日本語教師」ってどんなことをする人?日本語教師を目指すのに必要は資格や経験は?【キャリアアップ】
ブラック企業を即退職
平均睡眠時間、2~3時間ほど。
これを聞いただけで、ちょっと危険な臭いを感じますよね。それだけでなく、たとえば同期との食事や連絡、社内での会話が禁止される、ランチタイムなし、毎朝腕を後ろ手に組んで社訓を叫ぶ、呼ばれたら小走りで、みたいな会社に就職した結果、精神的に病んで再び絶望の底に突き落とされることになります。
※ブラック企業体験談についてはこちらから。
>>>【体験談】もしもブラック企業に入社してしまったら?「逃げる」こともまた強さ【メンタルヘルス】
経験したその他の会社
ほかにも、英会話教師やBtoBの留学会社など、基本的には英語関連の企業で働くことになりますが、どれもこれもブラック体質な企業ばかり(見る目がないのかしら)。
ブラック体質とはいえ、唯一楽しかったのは留学会社でイギリス出張ができたこと。これだけはいまでも良い思い出として残っていますね。
希望を取り戻すべく日本を飛び出す《海外就職篇》
精神的な落ち込みを感じたわたしは、ふと高校時代の感覚を思い出しました。「いかん、これはまたあのころの自分に戻っている気がする!」と。経験者は強い。すぐにまた海外に行こうと決心して、それから4カ月後には仕事を探すべく、飛行機に乗り込みました。
現代でまさかの食糧難
意気込んで現地に乗り込んだわたしですが、なんと到着してからの3カ月間は無職でした。「英語ならできる」「社会人経験もある」と自信過剰になっていたわたしの完全なる敗北です。
貯金はそれなりにしてきたつもりでしたが、家賃や生活費、交通費などを含めるとだいぶひどい状態。
ときには1斤約80円ほどの食パンやパスタのみで食いつなぐ、みたいなこともありました。食料が飽和した! この時代に! 豊かな国で! ひもじい生活!
とりあえず、ひもじさって駄目ですね。人を惨めにさせます。性格も悪くなります。それがわかっただけでも成長?
バリスタ~記者、ライターで体調崩し帰国決定
なにごとも一度決まってしまえばとんとん拍子にいくもので、海外ではウェイトレスからはじまりバリスタ、そして記者までいろんなことをしました。でも、忙しすぎて寝る時間がなかった(学ばない奴だなとかいわないで!)。ワーキングホリデービザのときもあれば、就労ビザのときもありました。
※ワーキングホリデーの現状が気になる人はこちらから。
>>>【体験談あり】ワーキングホリデーってぶっちゃけどう?稼げるの?働かなくても大丈夫?【海外生活】
仕事が好きだったこともあって、今度は精神的には元気満々でした、が。SOSを出したのは、体のほうでした。突然原因不明のめまいに襲われるようになり、仕事を続けるのが不可能になったんですね。
当然です。記者をしていれば、取材なんかの際にあちこち動き回らなければならないのに、それができないんですから。
ブログと出合って人生がちょっと豊かに
ブログに出合ったのは、そんなとき。
それまでは紙媒体メインで記事を書き、たまに自社のウェブサイト管理をしていたわたしにとって、個人ブログを開設するという考えはありませんでした。
めまいはひどい。でもなにもしないのはもっとつらい。
かつて内向的だったわたしは、長く海外経験を積むにつれ、どうやらなにかしていないと落ち着かない性格になっていたようです。書きたい。いま取材は無理だけど、記事を書きたい。そんな思いで、ブログの立ち上げを決意しました。
自分でもわけのわからないめまいに悩まされるようになってから落ち込みがちだった世界に、ほんの少しだけ光が差した瞬間。
※現在:療養中(ゆるゆるライター)《ステイホーム篇》
現在は病院に通いながら実家にて療養中。そしてゆるゆるとライター業務。
めまいの原因は不明なまま
帰国してすぐ、めまいの原因を突き止めるべくいろいろな病院をまわりはじめました。でも結局、数値的にはすべて正常だということで「心因性では?」「肩こりでしょう」で終わり。
先日ようやく、「片頭痛関連性めまい」+「PPPD」では? と安易に消去法で「心因性」といわない先生に出会ったばかりです。それが本当なのかはわかりません。自覚症状であるめまいの治療は非常に難しいので、違う病院に行けばまた違う診断が付く場合もあります。むしろたぶん、そっちのほうが多い。
※原因不明のめまいとはなにか。
>>>【体験談】ひとりじゃない!「原因不明のめまい」ってどういうこと?気合いだけでは乗り切れない?
いまでも病院に通う毎日。それでもまだ諦めずにいられるのは、ライティング業務やブログ記事の執筆が楽しいこと、そしてまだまだやりたいことがたくさんあるからだと思います。アメブロではよく弱音を吐いているけど、ただの日記だと思って許してね! たぶん、めまい持ちさんにとってはリアルだよ!
ブログ再開でいまに至る
海外で開設したブログですが、実は帰国後しばらくして、閉鎖してしまいました。あまりのめまいに、パソコンを開くことも叶わなかったからです。
でもやっぱり、多少つらくても書いていきたい。
そんな思いに突き動かされて、複数ブログをいっぺんに立ち上げるという暴挙に出ました。
楽しい。とても楽しい。
記者時代は睡眠時間がほとんどない状態だったのであまりわかりませんでしたが、わたしにとってはきっと天職だったのでしょう。執筆活動は、どんな形であれ、これからも続けていくつもりです。
楽しいから、書く。わたしにとってのブログって、単純にそういうものなんです。
人生100年時代、まだまだこれから!
人生100年時代といわれるいま。
アラサーのわたしですが、100年生きると考えたらまだまだこれからですよね。ここで数年ほど療養期間があったって、100年の人生観で見ればたいしたことないはず。
「この歳になって」「そろそろ結婚は?」
そんなことをいわれることも間々ありますが、わたしにはまた海外に行って勉強するという目標があります。そのために、前向きに療養に専念していきたいところです。

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