現在(2023年10月時点)、世界遺産に登録されている「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」。
中尊寺は、その構成資産のひとつとして登録されています。
魅力たっぷりの中尊寺を、見どころとともに紹介します。
※本記事の情報は2023年10月時点のものです。
世界遺産・平泉にある中尊寺
中尊寺は、嘉祥3年(850年)に比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれ、その後、藤原清衡によって造営されたとされています。
天台宗・東北大本山です。
一部を火災で焼失したものの、現在でも、金色堂をはじめとする3,000点余りの国宝や重要文化財が眠っています。
中尊寺の場所は?
中尊寺へのアクセス
中尊寺へは、車・電車(新幹線)・バスで行くことができます。
車の場合
平泉・前沢ICから約10分
平泉スマートICから約17分(ETC専用)
一関ICから約13分
電車(新幹線)の場合
盛岡駅 下車
↓
JR東北本線 乗り換え
↓
平泉駅 下車
↓
徒歩約30分
(タクシーで約10分)
一ノ関駅 下車
↓
JR東北本線(盛岡行) 乗り換え
↓
平泉駅 下車
↓
徒歩約30分
(タクシーで約10分)
バスの場合
一ノ関駅 下車
↓
一関前沢線(イオン前沢行) 乗り換え
↓
中尊寺 下車
↓
徒歩約12分
平泉駅 下車
↓
平泉町巡回バス「るんるん」 乗り換え
↓
中尊寺 下車
↓
徒歩約12分
一ノ関駅 下車
↓
一関平泉線(瀬原行) 乗り換え
↓
中尊寺 下車
↓
徒歩約12分
上記の情報は2023年10月時点のものです。最新の情報はご自身でご確認ください。
中尊寺観光に必要な所要時間(目安)
所要時間(目安):2時間
中尊寺をすべて回ろうと思うと、かなり広いです。
「中尊寺第1駐車場」「中尊寺第2駐車場」に車を停めると、「月見坂」をグングン上がっていかなければなりません。
この月見坂が中尊寺の敷地内でもっとも急な坂道です。
月見坂から中尊寺本堂まで向かう道中には「八幡堂」や「弁慶堂」などがあります。
中尊寺の見どころ
中尊寺観光のメインは「金色堂」です。人によって見たい場所・そうでもない場所いろいろだと思いますが、中尊寺を訪れたからには「金色堂」だけは見ておくことをおすすめします。
金色堂(国宝)
金色堂といえばその名の通り金色というイメージがあるかもしれませんが、外観はちょっと違います。
中での写真撮影は禁止されているので要注意。
イメージにある金色の建物はこの中にあります。
金色堂は、奥州藤原氏初代清衡によって造られました。なんでも、極楽浄土の様子を具体的に表現しようとしたのだとか。
中には初代・清衡公、二代・基衡公、三代・秀衡公、四代・泰衡公の亡骸が納められた棺が安置されています。
なお、かの有名な松尾芭蕉も、金色堂を訪れた際には「五月雨の降り残してや光堂」と詠んでいます。これは、すべてを朽ちさせてしまう五月雨も、光堂(金色堂)だけは濡らしてしまうことはなかったのだなという意味です。
金色堂の中には授与所があり、御朱印などを入手することもできます。
中尊寺・本堂
駐車場から金色堂に向かう道中に中尊寺の本堂があります。
手を合わせてお参りをしたい人は、ぜひこちらを訪れてみてください。
中尊寺・本堂は、中尊寺を構成する中心的な宝塔のひとつ。現在の建物は明治42年に再建されたものだそうです。
平成25年に、ご本尊として釈迦如来像の丈六仏が建立・安置されました。
讃衡蔵
「さんこうぞう」と読みます。
宝物館です。
ここにはなんと、栄華を極めた奥州藤原氏の残した3,000点余りの文化財が保存されています。
平安時代の諸仏や奥州藤原氏の副葬品などが収められています。
こちらも内部の写真撮影は禁止なので、注意してくださいね。
ちなみに、この建物の隣にキャッシュサービス(ATM)がありました。これで「御朱印をいただくお金がない!」「お守り買いたかったのに!」という心配もありませんね。
旧覆堂
「鞘堂」とも呼ばれています。
鎌倉幕府により、正応元年(1288年)に造られたと言われている建物です。5間4方の堂で、金色堂を風雪から護るために建てられました。
まさに「鞘堂」と呼ばれるに相応しい場所ですね。
中尊寺の基本情報
- 住所:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
- 参拝時間:(3月1日~11月3日)8:30~17:00(11月4日~2月末日)8:30~16:30
- 拝観料:(大人)800円(高校生)500円(中学生)300円(小学生)200円
- 駐車場:有(有料)
- HP:岩手県平泉 天台宗東北大本山 中尊寺
まとめ:歴史を感じるなら世界遺産・平泉の中尊寺
複数ある建物のうち、金色堂は平等院鳳凰堂にならぶ浄土教建築のひとつなので、平安時代(後期)の雰囲気を感じたい人は、ぜひ中尊寺を訪れてみてください。
初代当主清衡公から四代当主泰衡公まで続いた奥州藤原氏。
栄華を極めたその時代から終焉の侘しさまでを一気に肌で感じることができます。
※本記事の情報は2023年10月時点のものです。