時は戦国。いや、それよりもっと昔から。
強く儚く、時に己と、時に敵対する相手と戦いながら波乱万丈の人生を送った偉人たちが最期に放つ言葉からは、そこはかとないパワーが感じられますよね。
今回は、そんな辞世の句を完璧なる独断と偏見でいくつかお送りします!
辞世の句って?
一般的に、死の直前に詠まれた詩のことを指す辞世の句。
日本の歴史に馴染みがあれば当然のように受け入れてしまいそうですが、考えてみれば、自分が死ぬ前にちょっと小難しい詩を詠むなんてすごいことですよね。でも実際、これってどういうことなのでしょうか?
辞世の句とは?起源は?
辞世の句という文化は日本だけのものかと思いきや、実は東アジア特有のものとされています(例外あり)。
起源ははっきりしていないものの、一説によると中世以降の文化だということです。自身の波乱に満ちた人生を振り返り、総括的に詠みあげた短歌(あるいは俳句、その他短文)からは、当の本人は死の床に臥せているというのに、そこはかとない迫力が感じられるもの。
なかには辞世の句だけがひとり歩きしてしまうパターンもあったりしますが、その人の人生をたどっていくと「だからこそのこの言葉なんだ」と感動もひとしおです。
自分がいなくなった先の未来を夢見た偉人たちは、現代の日本をどう見るのでしょうか。
辞世の句と遺言の違い
そもそも単純に「死に際して発する(用意しておく)言葉」ということなら、遺言とほぼ同義ということになってしまいますよね。でも、この2つの意味合いは若干異なります。
簡単に言えば、辞世の句は自分自身の人生を振り返り総括した言葉で、遺言は自身の亡きあとに他者にあてたメッセージといったところでしょうか。
辞世の句にしても受け取り手にあとを託す旨の詩になっていることはありますが、この意志を引き継ぐか否かは残された人たち次第ということで、あくまでも辞世の句を発する本人が「こうなったらいいな」「こういう未来にしたかった」という希望です。(もちろん「この人生、素晴らしかった!」ということもあるでしょう)
辞世の句っていつ詠むの?
そもそも辞世の句って死ぬときに詠むんでしょ? 普通そんな余裕なくない!?
こんな疑問を持ったことがある人もいるのではないでしょうか。
時は戦国、とはいかないまでも、個々が力を競い合う戦乱の世。言ってみれば、戦死、病気、自害などいつどのような理由で死ぬかわからない時代です。
そんなこともあって、あらかじめ辞世の句を用意してから出陣する武将が多かったようですね。また、もし突然死んでしまった場合は最後に詠んだ詩が辞世の句とされることもあったそう。
もう戻ってはこられない覚悟で戦に出る。当の本人たちからすればとんでもないことかもしれませんが、いまとなっては彼ら、彼女たちの力強さにある種のロマンを感じます。
人生観が変わる偉人たちの辞世の句
この世に残されている多くの辞世の句は、当然ながら偉業を成し遂げた大いなる人たちのものばかり。男性、女性に分けて紹介していきます。なかには人生観がガラリと変わってしまう衝撃作があるかもしれませんよ!
男性篇
まずは男性篇。
高杉晋作
- 面白きこともなき世を面白く、すみなすものは心なりけり
これは現代の日本人にはあまりにも有名な辞世の句です。なかには座右の銘として「面白きこともなき世を面白く」という句を掲げている人もいるのでは?
でも実は、これ、下の句に続いているんです。
ただこれにはさまざまな議論が飛び交っていて、上の句を高杉晋作が、下の句を高杉晋作の看病をしていた知人が付け足したという説や、高杉晋作が亡くなる数年前に詠んでいたとされる説などがあります。
もし上の句だけで終わる内容であれば「よっしゃ! この世界、俺が面白く変えたるで!」という強気な意味合いに取れますが、下の句に続くのだとしたら「この世は心次第でどちらにもなる」という哲学的な落ち着いた印象を与える句となります。
謎は残るところですが、そこがまたロマンというか、探求心をくすぐられる部分でもありますね。
なお、「面白きこともなき世に面白く」ではないかという考えもあるそうです。
もうこの際本人に真相を確かめたい!
土方歳三
- よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ
- たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらん
- 鉾とりて月見るごとにおもふ哉あすはかばねの上に照かと
辞世の句が3つも!?
とはいえ、前者2つについてはほぼ同義。おそらく本来の辞世の句が後世に伝わっていくにつれ、伝言ゲームのように使われる語彙(「よしや」が「たとえ」になど)が変わってしまったのでしょう。
ここで「東の君」って誰やねん!? という疑問が湧きあがりますが、これについては一般的には徳川家や幕府だったという考えが広まっているものの、なかには妻や仲間たちに向けた詩だとする説もあるようです。
3つ目は近年になり、最後まで戦い続けた土方歳三が亡くなる前日に詠まれた詩である可能性が高いという発表がなされました。
そんな新選組で「鬼の副長」と名高い土方歳三ですが、俳句下手という可愛らしい一面も持ち合わせています。
- 梅の花、一輪咲いても梅は梅
思わず「そりゃそうですね」と突っ込みを入れたくなってしまうようなシンプルすぎる内容。ですが、そのなかに自然や仲間たちを大事にする愛情のようなものが見え隠れしているような感じがしますね。
厳しくありながらも、心根の優しい筋の通った人であったことが察せられます。
在原業平
- つひに行く道とはかねて聞しかど、昨日今日とは思はざりしを
意味としては「いつかは誰しもが死ぬと知っていたけれど、昨日今日のこととは思わなかったなあ」ということ。なんとも薄っぺらい内容ながらも、プレイボーイで数々の女性スキャンダルを起こしつつ雅な人生を生き抜いた業平らしい句だと思わざるを得ません。
自身の死を間近に感じながらも、悲しみも悔しさも、実感すら込められていないような内容。
これから死ぬっていうのにそれ…?
と思ってしまいそうですが、実はこういう人、現代にも多いのではないでしょうか。
日々交通事故やなんらかの事件に巻き込まれて命を落とす人たちのニュースを目にしますが、どこか「自分は大丈夫」「自分の周りでそんなことは起こらない」と根拠なく思ってはいませんか?
この辞世の句を見ていると、どこかそんな現実味のない、ふわふわとした感情をいまいちど考えさせられるのです。
十返舎一九
- この世をばどりゃお暇せん香の、煙とともに灰左様なら
この「煙とともに灰左様なら」にピンときたあなたは、米津玄師さんのファンであること間違いないでしょう! というのも、米津玄師さんの楽曲「LOSER」の中盤に出てくる「灰、左様なら」という歌詞は十返舎一九の句から取ったのだそうです。
十返舎一九といえば、江戸時代後期に活躍した大人気戯作者。ヒットを飛ばした「東海道中膝栗毛」といえば、学生時代に学校で習ったという人も多いのではないでしょうか。
このシャレの効いた辞世の句。底知れないセンスを感じさせますね。
「お暇(いとま)」と「線香」、「煙とともに灰になっていく様子」「さようなら」と、才能あふれる十返舎一九ならではの粋な辞世の句です。
松尾芭蕉
- 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
おそらく多くの人が耳にしたことがある紀行文「奥の細道」を執筆した、松尾芭蕉の辞世の句(と考える人が多い句)。
なぜ(と考える人が多い句)なのかというと、これは松尾芭蕉が亡くなる4日ほど前に詠まれたのですが、おそらく自身が辞世の句になるであろうことを自覚していなかったことから、ほかに辞世の句があったのではという意見もあるからです。
とはいえ、どちらにせよ、上記句を辞世の句、あるいはそれと同等の句として見るという考えが多いとのことです。旅に人生をかけてきた芭蕉らしい一句ですね。
木曽義仲
- 所々で討たれんよりも、一所でこそ討死をもせめ
木曽義仲(源義仲)は、征夷大将軍に任命された鎌倉幕府の殿、源頼朝の従兄弟にあたる人物。そして女でありながら武者としても名高い巴御前のパートナーでもあります。
親類関係にあるにもかかわらず、「粟津の戦い」にて鎌倉殿(頼朝)が差し向けた2人の従兄弟(範頼・義経)軍に敗れてしまうという悲劇に呑み込まれたひとり。
従者は少なく、敗走に馬を走らせるなか残された道は自害のみ。その時間を稼ごうと申し出た従者に放った一言が、この辞世の句と考えられています。
意味としては、「バラバラになって討たれるより、同じ場所で死のうじゃないか」という潔い一言です。が。最終的には従者の言葉に従い、ひとり自害するため馬を走らせるも、途中で討ち取られてしまいます。
源義経
- 御経もいま少しなり。読み果つる程は死したりとも、我を守護せよ
歴史の教科書でこそ一文、二文で終わってしまう源義経の活躍ですが、歴史上のヒーローとして大河ドラマになったこともある人物。兄、源頼朝のために東奔西走したにもかかわらず、最終的に自害に追い込まれるという悲劇に巻き込まれた武将でもあります。
織田信長や赤穂浪士、新選組みたいな悲劇の結末をたどった武将・武士たちってファンが多いですよね!
戦の天才とも謳われる義経の名言といえばたくさんあるのですが、今回はこちらの辞世の句。
これは頼朝から追われる身となっていた義経が身を寄せていた奥州にて、敵がいよいよその首を取らんと押し寄せてきたとき。従者はわずか。敵は大勢。そんななか、静かにお経を読む義経のもとに駆けつける弁慶に放った一言です。本来はこの前にもう少し文が続いています。
なお、個人的にはその後、主が自害をするための時間を稼ぐためその場を後にする弁慶が詠んだ、
- 六道のみちの巷に待てよ君おくれ先だつならひありとも
そして、それに返した
- 後の世もまた後の世もめぐりあへそむ紫の雲の上まで
こちらのほうが本来の辞世の句だと感じております。
簡単(本当に簡単に)訳すと、
弁慶「六道(冥途の道の途中)で待っていてくだされ。どちらが先に逝くのだとしても」
義経「何度でも巡り会おう。あの紫の雲の上まで共に!」
実に美しく、真っ直ぐな主従関係であったことがうかがえますね。
これがずっと苦楽を共にしてきた2人が最期に交わした会話と言われています。なぜ義経の部分だけこんなに長く、詳しいかって?
歴史上の人物で一番好きだからです!(個人的理由)
織田信長
- 人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。
ひとたび生をうけ滅せぬ者の あるべきか。
歴史上の偉人のなかでも圧倒的人気を誇る天下の武将、織田信長。
「是非に及ばず」というのはあまりに有名な台詞ですが、辞世の句といえばこちら。とはいえ、実際のところ、辞世の句というよりは歌という立ち位置です。
なぜならこれは、死に際して舞った(信長が好んでいたという)舞「敦盛」の一節だから。
「人間の50年は天上界に比べれば夢幻のようなもの。この世に生まれた限り、滅びないものはない(意訳)」ということで、激動の人生を生きたからこその言葉ですね!
女性篇
もちろん、辞世の句を詠んでいたのは男性だけではないんです!
細川ガラシャ
- 散りぬべき、時知りてこそ世の中の、花も花なれ人も人なれ
三日天下と呼ばれた明智光秀の3女にて、細川忠興に嫁いだ戦国時代の女性細川ガラシャが残した言葉。織田信長にすすめられて忠興と結婚したものの、父が本能寺の変を起こしたことによりなんと逆臣の娘に!
お父ちゃん…。
しかしそこで離縁ということにはならず、ガラシャは幽閉されてしまいます。その後紆余曲折あり、最終的には関ケ原の戦いの前に人質になりそうになったことで、家臣に自分の命を断つよう言いその生涯を終えました。
そんなガラシャが残した辞世の句には「花は散るときを知っているからこそ美しい。私もそのようにありたいものだ」という意味が込められています。
ちなみにガラシャはキリシタン名。元の名前は「珠(玉)」といいます。
中野竹子
- ものゝふの猛き心にくらぶれば、数にも入らぬ我が身ながらも
ここまで紹介してきた人たちのなかでも、比較的新しい年代を生きた女性。ドラマ「八重の桜」で綾瀬はるか演じる八重のライバルこと中野竹子(黒木メイサ)は、女性のみで「娘子(じょうし)隊」を編成し、息絶えるそのときまで会津若松で奮闘した意志の強い人です。
小野小町
- あはれなり、わが身の果てや浅緑、つひには野辺の霞と思へば
ミステリアスな日本屈指の美女歌人、小野小町。
壮絶な晩年を過ごしていたという話もある小野小町がこの世に置いていった句が、こちら。「自分の身体も最期には浅緑(の煙)となり、野辺の霞となってしまうのですね」という意味ですね。
外見の美は一瞬なのだという実感が込められているような気がします。
加賀千代女
- 月も見て、われはこの世をかしく哉
江戸時代の女流俳人。73歳まで生きた彼女は「美しい月も見れたことだし、私はこの世を去りましょう」となんとも気品に満ちあふれ、潔い風情を感じさせる句を詠み、この世を去りました。
人生を生き抜いた女性の強さが伝わってきますよね!
ほかにも、
- 朝顔に、つるべ取られてもらい水
- 昼の夢、ひとり楽しむ柳哉
- 美しう、昔を咲くや、冬牡丹
- 秋来ぬと、東眺めてをりにけり
など、何百、何千とさまざまな句を詠んでいます。
偉人たちの実直で強い生き様を忘れずに
辞世の句だけでなく、かつての日本を生きた人たちが詠んだ俳句や短歌には、当時の実感が十二分に込められているもの。彼、彼女たちがいたからこそ、いまの日本があるのだと忘れずにいたいものですね。
彼らの誰かひとりでも欠けていたらいまここにいる自分すらなかったかもしれないと思うと、ロマンすら感じませんか?